東日本大震災から4年・・・・。
今日で東日本大震災の発生から4年経った。あの人は違い、今日は清々しい晴天の中での仕事だった。
ところで、去年別のブログでこんなことを書いていた。
※ここから転載
いまだにあの日のことは忘れません。
あの日は私が仕事が休みでした。ちょうど散髪を終えて、買い物をしようと携帯ショップにいたときでした。最初ゆっくり揺れていき、それがかなり大き な横揺れになってきたので、店の人が外に避難するようにとの指示に、外に出てみると、殆どのビルがまるで風で木が揺れているような揺れ方をしていて、もう 少し揺れが収まらなかったら倒壊していたかも知れないほどかなり激しい揺れでした。
幸いに私は近くに居たので、家には無事帰れたのですが、帰ってからのテレビを見た瞬間、「もう日本は終わってしまった」ような戦慄と地獄絵を連日のように見せられたのでした。そして翌日の『東京電力原発事故』です。
会社からの帰り道でラジオを聴いていたので、「東京電力(福島)第一原発の1号機で建物が吹き飛んだ!」との第1報。もしかして、チェルノブイリ原 発と同じ『炉心爆発だ!』とすぐ感じました。(後で判ったのですが、1号機の爆発は「ベント」と呼ばれる水蒸気爆発だったそうです。本当の『炉心爆発』は 3号機だったそうです。煙の色が白っぽいのがそうだったようです。)帰ってからテレビで見ると、一見「水蒸気爆発」のように見えたのですが、私にしてみれ ばあの爆発は「絶対に炉心溶融による爆発でもう誰も止められない」と感じ、家の中で大声で叫んだのでした。
それから家の中で私の立場は非常に悪くなり、それ以来テレビ(地上波とBS)はまるっきり見ていません。
あのような地獄絵を連日のように見せられ、私の気持ちも震災以来変わりました。社会のあらゆるものへの憎悪と偏見、全てのマスメディアへの不信と憎しみ、日本の政治に対する信用失墜と憎悪、といったものをこの3年あまりずっと抱いていました。
4年経った今でも、私の気持ちは『東日本大震災』で被災していて、未だに避難所にいる人達と、『東京電力原発事故』でもう二度と自分の住む場所に戻れないのに、強制的に戻らされようとしている避難民たちと同じ気持ちです。
もし、私の気持ちが休まるならば、それは小沢一郎救国政権が出来て、今までの震災復興、並びに原発事故対策が完全に否定され、本当の意味の『震災復興』と『脱原発・反原発』への政策転換が実現できたときだと思うのです。
果たして、被災者の人と避難民の人全てが本当に「普段の生活」に戻れるのでしょうか?私にはこのままだと「阪神・淡路大震災」のときと同じようになってしまうような気がします。
※阪神・淡路大震災の場合も、表向きは復興していますが、被災者の高齢化や集落の飛散化、地域の崩壊などの問題がいまだに解決していません。
※転載終了
それに3年前にもこんなことを。
※ここから転載
今日は東日本大震災が発生してちょうど1年になりました。
震災から1年たった今、未だに避難所や仮設住宅にて生活している方々の事を思うと、私は禁じ得ない思いだけでなく、震災に対して真っ当な対策すら取 らなかった民主党政権、『東京電力原発事故』を引き起こしながら、未だに責任すら取ろうとしない東京電力と経済産業省、更に震災の事実に対して『大本営発 表』の如く政府の隠蔽に全て加担し、「捏造・偽装・詐欺報道」をし続け、国民を『安全デマ』で騙し続け、体裁だけ取り繕うと謀略したマスゴミ、更に 『ショック・ドクトリン』のごとく、この震災に乗じて国民が決して望まない政策を実行しようと、或いは既に実行している『ネオナチ首長』や『市場原理主義 者』、更に『震災利権』に群がる大企業。
一体日本はいつからこのような堕落した国家になってしまったのでしょうか?
1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災の時にでも同じようなことが起こっているのに、それらの教訓はどこに行ってしまったのでしょうか?
今回の震災によって日本が失ったものは甚大なものです。恐らくこれらを取り戻すことはもはや不可能に限りなく近づいてきているようなのです。
そうなった場合、むしろ『復興』の意味合いは、「今の生活や社会を取り戻す」事ではなく、「新しい社会や生活スタイル」を構築することになっていくのでしょう。
それを実行できるのは『国民の生活が第一』を「迅速・確実」に実行できる政治でなくてはならないのです。
ところが、今の民主党政権はそれらを『捏造事件』によって幽閉し、官僚らの『真の抵抗勢力』や大企業に代表される『利権マフィア』の操り人形でしかないのです。
果たして、今の日本はホントに『国家』なのでしょうか?
※転載終了
震災の犠牲者や被災者の真情を考えると、今の安倍ファシズム違憲状態偽政権のしていることは、忌野清志郎が言った「地震の後は戦争がやってくる」になってきているような感じがする。本当に震災復興を考えているのか、はなただ疑念を禁じえない。